草の茂る地面を斜めにとらえては弾き返されるように跳ねながら、小さな獣は闇雲に前進してゆく。硬く小さな蹄の上には折れそうに細い脛、さらにその上には極限まで撓んでは伸びることを繰り返すための発達した腿がある。
尻のふたのような短い尾をせわしく上下させながら、あちらへこちらへとその細い足を突き立てては向こうへ跳ねてゆく小さな獣。危機感に大きく見開かれた眼球の、普段は外気に触れることのない白目部分が今は露出して赤く血走っている。制御をやめてしまったように落ちた下あごの先に泡を溜めたまま、体中を曲げ、伸ばし、曲げ、伸ばす。溢れる光に知った道を見失い、蹄が石を捉えれば体を大きく傾げたまま、それでも体が動き続けるままに足を振り回す。
ときおり、追いすがる大きな獣のレンガ色をした鼻先を、前をゆく獣のそこだけ白い尻の被毛が掠める。恐怖により分泌された濃い獣臭が香れば、大きな獣はさらに力を得て、重い足の裏を地面に叩きつけるようにして距離を捕らえてゆく。
かろがろと硬質に跳ねつづける足音に、厚い手のひらが奏でるドラミングのような重い足音が重なり、ついに大きな獣の黄色い前足が“ぐなり”と小さな獣の背筋を捕らえる。
胴の後部を押さえつけられて尻をつくように曲がってしまった後ろ足にも構うことなく、小さな獣の前足だけはさらに先の地面を探すように打ち振られ、そこへ突き立てられようとする。大きな獣は目いっぱい開かれた前足の先を握りこむようにして、その爪を小さな獣の背に食い込ませる。
大きな獣は自らの左前足の下に激しく脈動する相手の背骨の感触を覚え、小さな獣は初めて自分の体がいくつかの層で出来ていることを知る。大きな獣の爪の先がその被毛の層をやすやすと過ぎて皮膚に刺さり、ふたたび振り上げられた前足がその下の肉を引き裂いて熱っぽい骨を砕く音を聞く。
大きな獣の右の爪が小さな獣のまっすぐな首筋を捕らえ、その空腹がわなないたときに、対話が始まる。
(ああ、聞けよ。きみよ、このわたしを聞け。きみ、このわたしの肉体の下に拉がれ抗い、わたしの膂力をもって原型を失おうとしているきみよ。美しい。わたしによって、わたしのもつ肉体の力によって変化せしめらるるきみの、その肉体は正しく美しいのだ)
(わたしはどうなるのか、わたしはどうなるのか)
(わたしはこれが初めてではない。わたしはこうすることが初めてではないからわかるのだ。わたしの肉体の力によってその原型を失うきみらは、ただの一度しかそれをしらない。きみらは初めてだから、わからないのだ。わたしを聞け。わたしの肉体の力がきみの肉体をやすやすと切り裂き、思うさまおしひろげ、ほとばしる血と肉とに口をつけて、きみを食らうとき、わたしの肉体がきみの肉体を変化させ、わが身のうちに取り込んでゆくそのとき、わたしはきみらをほんとうに美しいと感じているのだ)
(わたしはいまいるのか、わたしはいま)
(わたしよりも力のないきみよ、きみとて知っているだろう、きみの肉体の力によってやすやすとそのかたちを変化せしめらるるものの、そのときのそのさまを。きみがいつかその口で捕らえ食した低い木の若葉があるだろう。きみがその肉体の力で噛み砕き原型を失わせるそのとき、きみはそれを美しいと思ったのではないか。これほどまでに、この自分によって変化し、もともとの形をそこなわれ、きみの内在へと変質したものへ、かなしくいとおしい、美しさをたしかに感じたのではないのか)
(芳香、やわらかな若葉、わたしはそれを口に入れ、噛み砕き、知った)
(わたしによってそこなわれ、ちらばり、わたしの内在となりつつあるきみとその肉体よ、正しく美しいきみよ)
(わたしとなった若葉、わたしではなかったそれはわたしによってのぞまぬ変化を強いられ、わたしはそれをのぞむ。わたしは変化をもたらす。わたしはおもうがままに変化をもたらし、その若葉を美しいと知った)
(きみは、わたしにとってとても美しい)
(わたしにとって正しく美しい若葉)
(弱いものよ、わたしは羨望とともにきみの美しさを食らう)
(美しい若葉)
大きな獣の黄色い前足の下に動かない小さな獣の肉体が横たわり、対話は始まりと同じように終わる。大きな獣は、その日のいのちを得る。
尻のふたのような短い尾をせわしく上下させながら、あちらへこちらへとその細い足を突き立てては向こうへ跳ねてゆく小さな獣。危機感に大きく見開かれた眼球の、普段は外気に触れることのない白目部分が今は露出して赤く血走っている。制御をやめてしまったように落ちた下あごの先に泡を溜めたまま、体中を曲げ、伸ばし、曲げ、伸ばす。溢れる光に知った道を見失い、蹄が石を捉えれば体を大きく傾げたまま、それでも体が動き続けるままに足を振り回す。
ときおり、追いすがる大きな獣のレンガ色をした鼻先を、前をゆく獣のそこだけ白い尻の被毛が掠める。恐怖により分泌された濃い獣臭が香れば、大きな獣はさらに力を得て、重い足の裏を地面に叩きつけるようにして距離を捕らえてゆく。
かろがろと硬質に跳ねつづける足音に、厚い手のひらが奏でるドラミングのような重い足音が重なり、ついに大きな獣の黄色い前足が“ぐなり”と小さな獣の背筋を捕らえる。
胴の後部を押さえつけられて尻をつくように曲がってしまった後ろ足にも構うことなく、小さな獣の前足だけはさらに先の地面を探すように打ち振られ、そこへ突き立てられようとする。大きな獣は目いっぱい開かれた前足の先を握りこむようにして、その爪を小さな獣の背に食い込ませる。
大きな獣は自らの左前足の下に激しく脈動する相手の背骨の感触を覚え、小さな獣は初めて自分の体がいくつかの層で出来ていることを知る。大きな獣の爪の先がその被毛の層をやすやすと過ぎて皮膚に刺さり、ふたたび振り上げられた前足がその下の肉を引き裂いて熱っぽい骨を砕く音を聞く。
大きな獣の右の爪が小さな獣のまっすぐな首筋を捕らえ、その空腹がわなないたときに、対話が始まる。
(ああ、聞けよ。きみよ、このわたしを聞け。きみ、このわたしの肉体の下に拉がれ抗い、わたしの膂力をもって原型を失おうとしているきみよ。美しい。わたしによって、わたしのもつ肉体の力によって変化せしめらるるきみの、その肉体は正しく美しいのだ)
(わたしはどうなるのか、わたしはどうなるのか)
(わたしはこれが初めてではない。わたしはこうすることが初めてではないからわかるのだ。わたしの肉体の力によってその原型を失うきみらは、ただの一度しかそれをしらない。きみらは初めてだから、わからないのだ。わたしを聞け。わたしの肉体の力がきみの肉体をやすやすと切り裂き、思うさまおしひろげ、ほとばしる血と肉とに口をつけて、きみを食らうとき、わたしの肉体がきみの肉体を変化させ、わが身のうちに取り込んでゆくそのとき、わたしはきみらをほんとうに美しいと感じているのだ)
(わたしはいまいるのか、わたしはいま)
(わたしよりも力のないきみよ、きみとて知っているだろう、きみの肉体の力によってやすやすとそのかたちを変化せしめらるるものの、そのときのそのさまを。きみがいつかその口で捕らえ食した低い木の若葉があるだろう。きみがその肉体の力で噛み砕き原型を失わせるそのとき、きみはそれを美しいと思ったのではないか。これほどまでに、この自分によって変化し、もともとの形をそこなわれ、きみの内在へと変質したものへ、かなしくいとおしい、美しさをたしかに感じたのではないのか)
(芳香、やわらかな若葉、わたしはそれを口に入れ、噛み砕き、知った)
(わたしによってそこなわれ、ちらばり、わたしの内在となりつつあるきみとその肉体よ、正しく美しいきみよ)
(わたしとなった若葉、わたしではなかったそれはわたしによってのぞまぬ変化を強いられ、わたしはそれをのぞむ。わたしは変化をもたらす。わたしはおもうがままに変化をもたらし、その若葉を美しいと知った)
(きみは、わたしにとってとても美しい)
(わたしにとって正しく美しい若葉)
(弱いものよ、わたしは羨望とともにきみの美しさを食らう)
(美しい若葉)
大きな獣の黄色い前足の下に動かない小さな獣の肉体が横たわり、対話は始まりと同じように終わる。大きな獣は、その日のいのちを得る。
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by gnyamakkuroke
| 2008-12-17 02:06
| 魚影